1600年、エリザベス王朝の侍医で物理学者として著名なウィリアム・ギルパートが、琉泊のことをギリシャ語でエレクトロンと呼ばれるところから、琉泊に生じた軽い物体を吸引する力を “Electrica"と命名しました。これが電気の原語となっています。ギルパートはまた磁気と電気に関する多くの基本的考え方を、“De Magnet"という著書の中で科学的に記述し、現代の電気産業発展の口火を切る功績を残しました。
イタリアのコム市中学校の物理学教師アレキサンドル・ボルタは1800年ボルタ電堆(電池)を発明しています。彼は銅と亜鉛の板を湿った布を挟んで積み重ねるとその両端から電気を発生し、これを電線で継ぐとその中に電気の流れが生ずることを発見しました。これは電気学上非常に大切な発見であり、電気の利用はここから出発したといえます。これから電流に関するいろいろな実験が行われ、電流はやがて電信に応用されることになりました。
1831年、ミカエル・ファラデーは磁界の中で電線を動かすと電線の中に電圧が起り、電流が流れるようになることを発見しています。この発見は電気工学の基礎をつくったもので、この原理によって発電機が工夫されました。このときまでは電池による小さな電力しか得られなかったのですが、これからは大規模な電力の発生が可能となりました。また、ファラデーは一本の導体を通る電流は隣接する他の導体に電流を誘発できないかどうかについて研究した結果、直径6インチの鉄輪の周囲に5重の銅線コイルを、うち3重は輪の内側に、2重は外側に巻つけることによってこれに成功しました。これらコイルの一端はボルタ電池に、他の一端は電流計に接続され、電池から電流が流れ出した瞬間、他端の電流計に一時的に電流が流れました。これが有名な誘導コイルで、現在イギリスの王立科学研究所の貴重な宝物的存在となっている世界最初の変圧器です。
米国人モールスが通信機を発明したのは1936年のことですが、この電信機が米国水師提督ペルリによって、1854年(安政元年)江戸幕府将軍家に献上されています。ペルリの電信機に関する目録の中には、電信機2座、電信線4把、ガタパーチャ線1箱、碍子などが記載されています。この年にはオランダからも電信機が献上されています。こうした中でわが国においても電信機に関する関心が高まったのですが、わが国最初の電信機は1849年(嘉永2年)佐久間象山によってつくられ、この時使用した絹巻線も彼自身が作ったものといわれ、その一片が今でも逓信博物館に保存されています。
銅線は太古においては、銅を打ってまず板をつくり、次にこれを帯に切ってから叩いて丸くしたものであって鋼棒からつくるようになったのは14世紀ころから始まったといわれています。わが国でダイスによる銅線は水車引きによって始められ、京都の白川村、関東では埼玉県の膝折(現在の朝霞市)が最も古いといわれていますが、起源は詳らかではありません。年代のはっきりしたところで、1832年(天保3年)大阪で平川製線(現・理研電線)の先祖が銅線をつくっており、1854年(安政元年)に京都で津田電線の津田幸兵衛氏が水車を利用して銅線を引き始めています。明治初年に電信製造に使われた細い絹巻線が支障なく使われていたことから、その当時すでに細物銅線の製造技術は十分に確立されていたものと考えられます。
1841年にモールスはゴム、麻およびタールピッチで被覆した電信用の海底電線を設計しこれを製作してニューヨーク港を横断して布設し、1842年に通信に成功しています。次いで、海底電線の布設については大西洋の海底を横断してガタパーチャ電信海底線を布設するというきわめて野心的な計画が現われています。 1858年に英国の大西洋電信会社によってアイルランドのパレンシャ港とニューファウンドランドのリニチ湾との聞に布設が行われましたが、これは1863年に一旦不通となりました。このため1866年に大西洋電信会社が改組し、この結果出来た英米電信会社の手により復旧完成しています。わが国では1890年(明治23年)津軽海峡に逓信省所属の明治丸によって22海里の電信海底線が布設されていますが、これが日本人によって初めて布設された海底線です。当時の逓信大臣は榎本武揚で、彼は「海底線布設のような国家に必要なものを外国に任していてはわが国技術の進歩は望めない」とし、大いに督励したと言われています。
1875年米国人アレキサンダー・グラハム・ベルは電話を発明し、翌1876年に電話機を完成してボストンーケンブリッチ間3kmの通話に成功しています。次いで1880年には80kmの架空線による通話に、1881年は長さ500mのケーブルによる通話に成功しました。この電話機がわが国に渡来したのは1877年(明治10年)のことで、米国人の記録によると電話機が商品として外国に輸出されたのはこれが最初のことであり、わが国で工務省と東京工部大学校(東京大学工学部の前身)との問、および東京電信局と横浜電信局との間で試験が行なわれています。
19世紀後半には電燈の開発がめざましい勢いで進歩していますが、著名な先駆者はエジソンで、彼は1879年に中空のガラス製球形でみごとな電気ランプの製造に成功しました。1882年にはロンドンで最初の商業展示会が催されています。わが国で初めて電燈(アーク燈)がともされたのは 1878年(明治11年)3月25日、東京工部大学校で電信中央局の開設祝賀会が催された時です。3月25日の電気記念日はこれを記念したものです。
1887年(明治20年)11月、東京電燈の第2電燈局(火力発電所)が麹町に竣工し、「エジソン式直流発電機」により直流3線式210Vで電燈供給が開始されましたが、これが架空電線による一般供給の最初であり、わが国電気事業の最初でもあります。ロンドンおよびニューヨークで電気供給事業が開始されたのが1882年ですので、わが国はこれに遅れること5年ということになります。
明治年間およびそれ以前をわが国の「電線工業の創業時代」としますと、大正に入ってからの約10年間は「電線工業の成長時代」とも考えられます。電気事業は電燈時代から電力時代に移行し、数多く電力会社が創設されました。また、火力時代は水力時代となり大電力の水力発電所を遠隔の地に求めた結果、長距離の大送電線の建設が必要とされ、送電電圧も急激に高められてきました。 1914年(大正3年)には11万5千Vが完成しています。都市および周辺地域における送電網はますます発達してその線路の大部分は地下線路であったため、特別高圧用紙ケーブルの需要も急激に増加しました。1916年には2万V、1921年には3万V用のケーブル製造が行われています。通信面では通信事業が商工業の発達により一段と促進されて通信回線の増加、通信距離の延長をもたらし、これに即応して通信用紙ケーブルは1914年600対、1921年800対、1922年にはI,200対と次第に対数が増加していきました。そのほか、第1次世界大戦の勃発を背景にして艦船用の高級ゴム絶縁電線、陸軍用被覆線などが数多く製造されてゴム絶縁技術は著しく向上しました。
成長時代に続く10年間は、我が国電線工業の「世界技術への挑戦時代」とも言えましょう。架空送電線では1923年(大正12年)に15万4千Vの長距離送電線が京浜、日本、大同の3電力会社で同時 に送電を開始しております。地下ケーブルでは1921年に3万3千V3心ケーブルが、1928年(昭和3年)には熱海に6万6千Vの単心ケーブルが布設されています。電話ケーブルの分野では1923年に工事をはじめた東京一岡山間の長距離電信電話ケーブルが記録的なものです。電話用海底ケーブルは1922年にガタパーチャケーブルが布設されています。超高圧電力ケーブル分野で画期的意義をもつOFケーブルは、1924年イタリアのL.E.エマヌエリーが考案したもので、同年試作に成功して以後実用に供されていますが、わが国でも1930年、日本電力の尾久送電線に6万6千V675mm2 単心OFケーブルが布設されています。もちろんこれが日本最初のものです。
昭和初年より日支事変勃発までの約10年間に外国技術の導入なども積極的に行われ、わが国の電線工業は質、量ともに繁栄時代を迎えました。この時代に入ってOFケーブルは発達し、相当長い送電線にも採用され電圧も1938年(昭和13年)には8万5千Vに昇圧され、通信ケーブルについては1932年に逓信省により無装荷ケーブルが提案されました。これは長距離通話に優れた性能を有し、また搬送方式によって多数の通話が可能となるものです。東京、奉天間の日満連絡ケーブルは無装荷ケーブルによって行われ、1935年に工事を開始し1939年に完成しています。 無装荷方式はわが国が世界に率先して実施したものであり、わが国通信技術水準の高さを世界に誇示したものです。通信分野における同軸ケーブルは広帯域伝送用として1936年ドイツで布設をみておりますが、わが国でもほぼ同時期1937年に同軸ケーブルの製造が行われました。その他、特殊な電線として無機絶縁電線、ガラス巻線などが1935年頃より相次いで製造開始されています。
電線発展の歴史は材料の進歩と製造方法が開発の歴史であるといっても過言ではありません。 材料の進歩がそのまま電線新製品開発あるいは性能向上につながることがあり、材料に特別の変化がなくても製造方法の進歩により一段と性能が向上する場合もあります。とくに戦後においては新しい各種材料の出現によって製品の面白が一新された感があります。戦後導入、開発された主な材料は導電材料として銅合金では銀入銅合金、ジルコニウム銅合金、クロム銅合金など、アルミおよびアルミ合金では高純度アルミ、イ号アルミ合金、高力アルミ合金、耐熱アルミ合金などがあります。 さらに、超電導技術の発展に伴いニオブチタン系他各種の超電導線材の開発が進められ、最近では高温超電導材料を線材化して地中送電ケーブルを開発する動きも出てきました。絶縁材料または保護被覆材料としては、プラスチック、合成ゴム、特殊紙、合成油、各種合金鉛など、また、エナメル線用樹脂にはホルマール、ポリエステル、ポリウレタレン等々があります。特に現在、製品として著しい伸びをみせているのが、600Vから275kVの架橋ポリエチレンケーブル(CV) で、電力ケーブルの内で90%以上の使用実績を示しています。通信ケーブルでは、長距離、大容量伝送に適した光ファイバケーブルの導入が一段と進み、高度情報社会を支えています。より安全なケーブルとしてケーブルの難燃化・ノンハロゲン化が進められています。 また、環境とのかかわりについて述べれば、電線業界としては、自然環境との調和を目指して架空送電線を中心に低風音電線、低コロナ電線で騒音問題の改善に若干の寄与をしてきましたし、 低反射電線、低明度電線、着色電線などで視覚的な環境との調和にも若干寄与してきました。 都市景観を欧米並のものとする一つの方法としては、電線地中化の推進が改善策のーつとして上げられますが、従来は架空布設に比べてコストが大幅に増大することから遅々として進みませんでした。しかし、1995年(平成7年)度より情報ハイウェイの整備推進策の一環として、建設省が中心となり、簡易型の電線共同溝(C.C.BOX)を使用することによる地中化の推進策が策定され、耐震性能の向上と相まって、従来よりは高いペースで地中化が推進されようとしています。 新しい材料と製造技術の開発により、わが国の電線工業は将来に向って躍進を続けています。